U65、現場は特定工程の受検に向けまっしぐら、今から内装工事の手配を行わないと工期遅延となる、忙中閑有りとはどこぞの国の言葉か、気が急くばかりではかがいかない。そんななか、1本の電話を受ける。
友人からの電話で、先生の一周忌、命日に私の分も代参してくれたとの事。ありがたい、気にはなっていたが、仕事にかこつけ、行く事ができなっかった。
時節がら、故人を偲ぶ。故人は設計事務所の所長で、私より一回り年上であり、[自分は神である]と自称する。出会いは20年以上前になる。その時の風貌は[翁]であった、長いひげをたくわえ、颯爽と歩く、一見芸術家に見えた。先生と仕事の話をすると話が止まらない、拘りを強く感じ、共感するものが多くあった。(もちろん言い争いもした)
振り返ると、両手でも足りない程の仕事をさせてもらった、仕事も教えて貰い、血となり肉となり今生きている。私は営業職ではないので接待はしなかったが、普段入れない店に、飲みに良く連れていってもらった。酒を飲んでいても話は必然と建築の事ばかりとなる。(脇のバニーガールは不要であった)
かつて、先生と問答したことを思い出す、Q[お前は何の為生きている]、A[死ぬ為に生きている]、答えた私に先生は何もいわなかった。私は無宗教であり冠婚葬祭時に宗教と係わりを持つ。
今、問答したら[生・老・死]と答えたい。先生どうですかこの解答。 平成29年夏